膵臓がん治療に新展開、KRASを狙う新薬とは

膵臓がんは早期発見が難しく、診断された時点ですでに進行しているケースが多くみられるがんです。治療では手術や薬物療法、放射線治療などを組み合わせながら、がんの進行度や患者さんの全身状態に応じて治療方針を決定します。
近年、膵臓がんの治療で注目されているのが「KRAS(ケーラス)」という遺伝子です。KRASはがん細胞の増殖などに関わる重要な因子ですが、これまで治療標的にすることが難しいとされてきました。しかし、近年になってKRASを標的とする薬剤の開発が進み、2026年8月には、米国でKRASを含むRASを標的とするダラクソンラシブ(daraxonrasib)が転移性膵腺がんに対して承認されました。また、日本でもKRAS G12Dを標的とする新薬の臨床試験が進められています。
この記事では、KRASを狙う新薬の特徴や臨床試験で示された効果、日本で開発が進む薬剤について解説していきます。
目次
膵臓がん治療で「KRAS」が注目される理由

はじめに、KRASとはどのようなものなのか、なぜ膵臓がん治療で注目を集めているのか、その理由について詳しく解説していきます。
KRASとは
KRASは、細胞の増殖や分化などに関わる「RAS」と呼ばれるタンパク質、およびそのタンパク質をつくる遺伝子のひとつです。細胞の増殖に関する情報を伝えるスイッチのような役割を担っていますが、このKRASの遺伝子に変異が生じると、細胞増殖のシグナルが適切に制御されなくなり、がん細胞の活性化や増殖につながることがあります。
なかでも、膵管腺がん(PDAC)では、KRASを含むRAS遺伝子の活性化変異が90%以上に認められることが報告されています。そのため、KRASやRASの働きを抑えることができれば、がん細胞の増殖を抑制できる可能性があるとして以前から研究が進められてきたのです。
「治療で狙うことが難しい標的」だったKRAS
KRASは、膵臓がんの増殖にかかわっていることが明らかになっていますが、長年にわたって治療薬の標的にすることが難しい遺伝子のひとつであるとされてきました。
KRASは細胞内で働くタンパク質であり、その構造や性質から、従来の薬剤で直接作用させることが容易ではなかったからです。
実際に、膵管腺がんではKRASの異常が非常に高い頻度で認められるにもかかわらず、これまでKRASを直接標的とする有効な治療法の開発には、数多くの課題が存在していました。しかし近年では、KRASの特定の変異や活性化した状態を狙う薬剤の研究が大きく進展しています。
2026年8月には、FDA(米国食品医薬品局)がRASを標的とする新薬「ダラクソンラシブ(daraxonrasib)」を承認しました。ダラクソンラシブは、一定の条件を満たした転移性の膵腺がんが適応の対象となり、臨床の現場ではその治療効果に大きな期待が寄せられています。
膵臓がん治療に登場したKRASを狙う新薬とは

KRASを標的とする新薬のなかでもっとも注目を集めているのが、前項で紹介した「ダラクソンラシブ」です。
ここでは、膵臓がん治療に大きな変化をもたらすことが期待されている新薬、ダラクソンラシブについて詳しく解説していきます。
ダラクソンラシブ(daraxonrasib)とは
ダラクソンラシブはRASを標的とする経口薬で、2026年8月26日にFDA(米国食品医薬品局)から正式に承認を受けています。販売名は「RASONQUE(ラソンク)」で、米国のRevolution Medicines社が開発しました。
FDAは、少なくとも1種類の全身療法を受けた成人の転移性膵腺がん患者、あるいは複数の薬剤を併用した全身療法の対象とならない成人患者に対して、ダラソンラシブを承認しています。ここでポイントとなるのは、「複数の薬剤を併用した全身療法の対象とならない」ケースも適応となることです。病状・体力などの面から複数薬剤による化学療法が受けられない患者さんにも、膵臓がん治療の選択肢が広がる可能性を示唆しています。
ただし、注意していただきたいのは、この承認は米国におけるものであることです。現時点では日本で承認されていないため、保険診療で使用することはできません。一般的に、FDAの承認から日本国内の承認までは1~3年かかるとされています。これまでの新薬承認の傾向から、日本では2027年~2029年ごろに承認されることが予測できますが、国内における申請や治験の進行状況などにより、承認時期が変わってくることも考えられます。
膵臓がんに対するダラクソンラシブの作用
ダラクソンラシブは、RASタンパク質が活性化した状態に作用する「RAS(ON)マルチセレクティブ阻害薬」です。
RASは細胞増殖などのシグナル伝達に関わる重要なタンパク質で、RASに異常が生じると、がん細胞の増殖を促すシグナルが持続的に発出されてしまうことがあります。ダラクソンラシブは、この活性化したRASを標的として作用することで、がん細胞の増殖に関わるシグナルを抑えることを目的とした新薬です。従来は治療標的として狙うことが難しかったRAS経路に直接作用することが、この新薬の大きな特徴です。
臨床試験で示された効果
ダラクソンラシブの有効性は、転移性膵腺がん患者500人を対象とした第III相「RASolute 302試験」で評価されました。この試験では、1種類の全身療法を受けた後に病状が進行した患者に対し、ダラクソンラシブを投与する群と、医師が選択した標準的な化学療法をおこなう群に分けて比較しています。
全体集団における結果は、以下のとおりです。
| 比較項目 | 新薬(ダラクソンラシブ) | 標準治療 |
|---|---|---|
| 全生存期間の中央値 | 13.2か月 | 6.7か月 |
| 無増悪生存期間の中央値 | 7.2か月 | 3.6か月 |
| 奏効率 | 30% | 11% |
いずれもダラクソンラシブで良好な結果が示され、FDAは全生存期間、無増悪生存期間、奏効率について、標準治療群と比較して統計学的に有意な改善が認められたとしています。
また、2026年に発表された第III相試験の論文でも、既治療の転移性膵管腺がん患者において、ダラクソンラシブは化学療法群と比較して、全生存期間および無増悪生存期間が長かったことが報告されています。
ただし、これらは特定の条件を満たした臨床試験の患者さんを対象とした結果です。すべての膵臓がん患者さんに同じ効果が得られるわけではなく、新薬の適応は、病状や遺伝子変異、これまでの治療歴などを踏まえて判断されます。
ダラクソンラシブの副作用・注意点
ダラクソンラシブも、化学療法で用いられるほかの薬剤(抗がん剤)と同様に、副作用に注意する必要があります。第III相試験では、発疹・下痢・吐き気・口内炎・粘膜炎・嘔吐・疲労などが治療に関連する有害事象として報告されています。
また、FDAの添付文書では、皮膚・軟部組織への毒性、口内炎などの口腔障害、下痢、消化管穿孔、間質性肺疾患・肺臓炎、胎児への影響などについて警告・注意事項が示されています。そのため、ダラクソンラシブは「新薬だから副作用が少ない」と考えるのではなく、適応となる患者さんに対する効果と副作用の両方を考慮したうえで、慎重に使用することが重要です。
日本でも開発が進む「KRAS G12D」を標的とする新薬

KRASには複数の変異型があります。そのなかでも、膵管腺がんで比較的多く認められるのが「KRAS G12D変異」です。現在、日本を含む国際共同臨床試験で、この変異を選択的に標的とする新薬の開発が進められています。
ここからは、「KRAS G12D」を標的とした新薬の開発状況について紹介していきます。
KRAS G12D変異とは
KRAS G12D変異とは、KRAS遺伝子の12番目のアミノ酸に関わる変異です。
膵管腺がんではKRAS遺伝子の変異が高頻度に認められますが、そのなかでもG12D変異は重要なポイントとなるタイプのひとつです。アステラス製薬によると、KRAS G12D変異は、膵管腺がん患者の約40%に認められるとされています。
このような背景から、KRAS G12Dだけを選択的に狙う薬剤の開発が進められています。
日本でも治験が進むセチデグラシブ(setidegrasib)
セチデグラシブ(setidegrasib)は、アステラス製薬が開発しているKRAS G12D変異を標的とした新薬候補です。
この薬剤の特徴は、単純にKRAS G12Dの働きを阻害するのではなく、「標的タンパク質分解誘導」という仕組みを利用して、変異したKRAS G12Dタンパク質の分解を促すことです。2026年4月には、KRAS G12D変異陽性の転移性膵管腺がん患者を対象とした国際共同第III相試験が開始されました。
この試験では、セチデグラシブをモディファイド・フォルフィリノックス(mFOLFIRINOX)またはナリリフォックス(NALIRIFOX)と併用し、一次治療としての有効性と安全性を評価しています。日本国内にも複数の治験参加施設が掲載されており、現在も開発が進められています。ただし、セチデグラシブは「治験中の薬剤」です。現時点でKRAS G12D変異を標的とする承認済みの薬剤は存在しないため、一般的な治療として自由に使用することはできせん。
「承認された治療」と「治験中の治療」の区別が重要
新薬のニュースを目にすると、「新しい治療を受けられるようになった」と感じるかもしれません。しかし新薬においては、臨床試験で有効性や安全性を確認し、国ごとの審査・承認を経て一般の診療で使用できるようになります。
今回紹介した薬剤についても、ダラクソンラシブは2026年8月に米国で転移性膵腺がんに対して承認された一方、セチデグラシブは2026年9月時点で第III相試験の実施中です。
また、ダラクソンラシブの新薬承認もFDA(米国食品医薬品局)によるものです。FDAによれば、今回の審査には日本のPMDA(医薬品医療機器総合機構)もオブザーバーとして参加していますが、日本での承認を意味するものではありません。
そのため、「海外で承認された新薬」と「日本で現在使用できる新薬」、「治験(審査)の段階にある薬剤」は、それぞれ分けて考えることが大切です。
KRASを狙う新薬と膵臓がん治療の今後

KRASを標的とする新薬の開発が進むことで、膵臓がん治療は今後さらに変化していく可能性があります。特に、患者さんのがんが持つ遺伝子変異を調べ、その特徴に合わせて治療を選択する「個別化医療」の重要性が高まると考えられます。
ここからは、KRASを標的とした新薬と膵臓がん治療の今後についてみていきます。
遺伝子変異に応じた治療が広がる可能性
これまでの膵臓がん治療では、がんの進行度や外科的手術による切除の可能性、患者さんの全身状態などをもとに治療方針を決めることが基本でした。今後はそれらの診断基準に加え、がん細胞がどのような遺伝子変異を持っているのかを調べ、その結果に応じて薬剤を選択する機会がさらに増えていくと考えられます。
KRASは膵臓がんで高頻度に認められる遺伝子異常のひとつですが、すべてのKRAS変異が同じ性質を持つわけではありません。そのため、「KRASに変異があるか」だけではなく、「どのタイプの変異なのか」を確認することが治療選択における重要なポイントとなっていくでしょう。
KRAS G12D以外の変異も治療標的になる可能性
KRASには、G12D以外にもG12CやG12Vなど複数の変異があります。
現在は特定のKRAS変異を狙う薬剤の研究が進められていますが、今後はさらに異なる変異を標的とした治療法が開発される可能性があります。
また、KRASそのものだけではなく、RAS経路の周辺にある分子や、がん細胞が治療に抵抗する仕組みを標的とした研究にも進展がみられます。ただし、これらの研究のすべてが将来的に承認された新薬として実用化されるとは限りません。今後の臨床試験で有効性と安全性が確認されるかどうかを見守る必要があります。
これからの膵臓がん治療の考え方

新薬の開発が進んでいる一方で、膵臓がんの治療では現在確立されている標準治療も重要な位置を占めています。
ここでは、膵臓がん治療の考え方について解説していきます。
膵臓がんにおける標準治療の位置づけ
膵臓がんでは、画像診断などの結果から遠隔転移の有無やがんの広がりを確認し、「切除可能」「切除可能境界」「切除不能」のいずれかに分類をします。
切除可能な場合には、手術のみ、あるいは手術と化学療法を組み合わせた治療がおこなわれます。また、切除可能境界のケースにおいては、化学療法や放射線療法をおこなったうえで手術適応があるかどうかを判断することがあります。一方、切除不能な患者さんには、薬物療法や化学放射線療法などが選択肢となります。
このように、膵臓がんでは新薬だけで治療するのではなく、手術・化学療法・放射線療法などを病状に応じて組み合わせることが基本とされています。
新薬による膵臓がん治療の適応
新薬が開発・承認されたからといって、すべての膵臓がん患者さんがその薬剤を使用できるわけではありません。対象となるがんの種類や進行度、遺伝子変異の有無、これまで受けた治療など、薬剤によってそれぞれ適応の条件が異なります。
たとえば、2026年8月に米国で承認されたダラクソンラシブも、転移性膵腺がんで、少なくとも1種類の全身療法を受けた患者など、一定の条件を満たすことが承認条件となっています。また、セチデグラシブはKRAS G12D変異陽性の転移性膵管腺がんを対象とした臨床試験がおこなわれていますが、現時点では治験薬として扱われています。
そのため、新薬の情報を知って「自分も受けられるのでは」と早急に判断するのではなく、まずは主治医に相談することが大切です。
最善の治療方法を選択するためには
同じ膵臓がんという病名であっても、がんの進行度、切除可能性、遺伝子変異、これまでの治療、全身状態などによって適した治療は異なります。
治療方針について迷いや疑問がある場合には、主治医に疑問に感じていること、不安に思っていることをひとつずつ確認することが大切です。また、「現在提案されている治療以外に選択肢はないのか」「新薬や治験を検討できるのか」など、別の視点から治療について検討したい場合にはセカンドオピニオンを活用する方法もあります。
「主治医に言いづらい」と感じられるかもしれませんが、近年、特にがんにおいては、セカンドオピニオンを求めることが患者さんの権利として広く認められています。セカンドオピニオンは、主治医を変えることや転院を目的としたものではありません。自分の病状や治療の選択肢について理解を深め、納得して治療方針を決めるためのひとつの手段として活用できる制度であることを理解しておきましょう。
まとめ

本記事では、膵臓がん治療の今後に変化をもたらすと期待されている、KRASを標的とした新薬について詳しく解説してきました。
膵臓がん、特に膵管腺がんにおいては、KRASを含むRAS遺伝子の異常が高頻度に認められます。これまでKRASは治療標的にすることが難しいとされてきましたが、近年はKRASやRASを狙う新薬の開発が進んでいます。
2026年8月には、RASを標的とする新薬「ダラクソンラシブ」が、転移性膵腺がんに対してFDAから承認されました。ダラクソンラシブの第III相試験の結果からは、標準的な化学療法と比較して全生存期間や無増悪生存期間の改善が示されています。また、日本でもKRAS G12Dを標的とする「セチデグラシブ」の第III相試験が進められています。ただし、現時点では治験中の薬剤であり、審査プロセスなどを考慮すると、新薬として承認されるまでには5年前後かかるのではないかと考えられます。
今後、これらの新薬が臨床現場に導入されることにより、がんの遺伝子変異に応じて治療を選択する「個別化医療」もさらに進展していくでしょう。しかし、一方では手術・化学療法・放射線療法などの標準治療も重要な位置を占めています。膵臓がんだけではなくすべてのがんも同様に、新薬だけに注目するのではなく、主治医への相談やセカンドオピニオンの受診などを通して納得できる治療方針を選択することが大切です。

